第30章 Thank you kindly 第29章はこちら
次の日、佐都子は一睡もしないまま朝を迎えた。月曜日、一週間の始まりである。仕方なくヨロヨロになりながら足取りも重く会社に向かった。 新宿に着いたのは朝の8時20分。 いつもと変わらない人の波にもまれながら南口を出る。そして押し出されるように副都心の方に向かって行った。朝の光が眩しい。 そんな中、オレンジ色の成田空港行きリムジンが目の前を通り過ぎて行った。 (もし、これに乗りさえすれば・・・・フレイザーに会える) そんな思いが一瞬頭をよぎる。 (でも、今さら会ってどうすればいいのか・・・最後のお別れを言ったらよけい辛くなるし・・・・) そう考えているうちに会社のビルの入り口にたどり着いてしまった。 *** 成田空港 第二ターミナル *** 動物検疫所の前でディーフは不安そうな顔をしてフレイザーの顔を見上げていた。これから長いフライトが待っていることを察しているのだろうか・・一人になるのを恐れているようなビクビクした表情をしている。フレイザーに連れられて獣医の検診を受けると無事、「This dog(wolf) is good condition」という「犬の輸出検疫証明書」が発行された。 いよいよディーフもこれでフライト準備完了だ。 「ウチに帰れるんだから、辛抱するんだ。」そうフレイザーになだめられ輸送ケージにすごすごと首をたれてディーフは中に納まった。 「なんか、以外とスムースに済んだな。」レイがケージの中でちんまりしているディーフを覗く。 「ああ。思ったより早く終わったよ。」 「あと何時間ある?」 「4時間ちょっと・・・。」 「早く来すぎたかな。」 「レイ、もうここからは僕一人で大丈夫だ。君は戻って・・・。」 そう言いかけているフレイザーをレイがさえぎった。 「俺、ちょっと行ってくる。」 「えっどこに・・・?」 フレイザーの質問に答える間もなくコートを翻しレイはターミナルを足早に出て行った。 *** 佐都子の会社 ビル8階 午後4時過ぎ *** 佐都子は全く仕事に身が入らなかった。報告書も書き終わらないうちにただ刻々と時間が過ぎていく。 そのとき、電話が鳴った。 「佐都子さん、7番に電話。」 「はあ。」 佐都子が疲れた顔をして電話をとると、その瞬間、受話器から飛び込んできたのはものすごい早口のアメリカ英語だった。 --- 電話 の会話 --- 「おいっ!おまえ何やっているんだよ。」 「何やっているって・・・・仕事。」 「重要か?」 「そりゃまあ。」 「いいか。今から空港に行くぞ。準備して出て来い。」 「へっ・・・く、くうこうって。レイどこにいるんですか?」 「すぐ下、時間が無い!早く降りて来い。」 ブチッ・・・ 佐都子が答えるようとすると、電話が切れた。 鼓動が早くなる。(どうしよう・・・・・・) でも、これがフレイザーに会う一生のうち最後かもしれない・・・そう思うといてもたってもいられず会社を飛び出した。 外には緑のリヴィエラが待っていた。 「レイ、どうしてここが?」 佐都子が聞くや否や運転席のレイが大声を発した。 「いいか、おれは刑事だ。調べれば何でもわかる。それより時間が無い。 エアカナダ. 004便、バンクーバー行き18:35 !!まだ間に合う。ごちゃごちゃ言わないでさっさと乗れ。」 佐都子はレイの機関銃のような英語が全く聞き取れず、わけがわからないまま車に乗った。 「飛ばすぞ!捕まっていろ。」 バタンッ。佐都子が乗り込むとものすごい勢いで発進した。 高速をこれでもかという速さでリヴィエラは飛ばして行った。ビュンビュンと外の景色が後ろに消え去り、車体が速さでブルブルと揺れている。レイの顔は怖いくらい真剣だった。 「あのぉ・・・。」 「なんだよ。」 「フレイザーに何て言って会えばいいんですか?」 「おいっ!!!!!お前疲れること言うなよ。あいつにまだ言うことが残っているんだろ。」 「えっ。もう無いですよ。会う口実もないです。」 「土産を渡すとか・・・。」 「そんなの用意してないです。」 「お守りでもキーホルダーでも持っているだろうが・・・。」 「おばあちゃんにあげる予定だった "ボケ封じ地蔵" のお守りぐらいしか・・。」 「それで十分だ。」 「えっ?でもフレイザー、まだボケるには早いですよ・・・・。」 「いいんだよ。あいつちょっと天然ボケなんだから、とにかく理由は何でもいいから最後に会うんだ。」 そう言うとレイは一層強くアクセルを踏んだ。 リヴィエラは第二ターミナル出発ロビー入り口玄関前に滑り込んだ。 「右側にエアカナダのカウンターがある。とにかく早く行け。」 レイのまくしたてる声に押されるように佐都子は車を降りて、中に向かった。 旅行シーズンではないからか夕方のロビーは閑散としていた。よって容易にエアカナダの白いサインを見つけることができた。 そしてそこには時計を見つめて立っているステットソンに茶色い制服・・・・ 急に佐都子は時間が巻き戻されたような錯覚に陥った。 出合ったときの同じ制服。 同じ帽子・・・。 佐都子は何て声をかけていいかわからなかった。 するとフレイザーの方で近寄ってくる佐都子の姿を見つけた。 パッと笑顔が咲いて、白い歯を覗かせる。 「やあ、佐都子・・・・。」 息を切らしながら走ってきた佐都子は何か一生懸命、言おうと言葉を探した。 「あ、あの・・・フ、フレイザー・・・・。」 「?」 「ドリームキャッチャーのお礼にこれを・・・。」 そういって蛙のキーホルダーを渡した。ひもで繋がれた小さな鈴がチリチリ音をさせる。 フレイザーが嬉しそうに手を差し出し受け取って眺める。そしてにっこり微笑んだ。 「君が来てくれるなんて・・・・。もう会えないかと思っていた。有難う。佐都子。一生大切にするよ。」 佐都子は静かに頷いた。それからフレイザーが佐都子の肩に手をのせた。 「本当に日本に来てよかった。君に会わなければ僕はずっと悩んだままだったかもしれない。今度は僕が君を助ける番だ。・・・・・いつでも困ったときには呼んでほしい。僕が全力で、全力で・・・君を助けるから・・・・。」 (Look I promise you I will do everything... I mean EVERYTHING in my power to help you.) "全力で"・・・・そう言った瞬間、フレイザーの手に力が入った。 「また連絡する・・・」 「As a friend?」 「As a friend.」 そしてノースウェストテリトリーRCMPの住所と電話番号が書いてあるメモを佐都子に手渡した。 佐都子はじっと澄んだ青い瞳を見つめた。 まるでカナダの遠い人知れない湖のような瞳・・・ 空港の喧騒から切り離され二人だけの空間に包まれる。 その空間を突然、エアカナダ004便の最終搭乗案内のアナウンスが破った。 フレイザーが時計に目を移した。いよいよ出発の時間である。 涙がこぼれそうなのをこらえて佐都子が唇を噛んだ。そして本当の気持ちを言う代わり最後のお別れをやっとの思いで言った。 「Good bye Fraser.さようならフレイザー。」 するとフレイザーが軽く首を振った。 「Not Good bye, Satoko.See you later.」(さよならじゃなくて 佐都子 "またね"だよ。) そう言って搭乗口の方に向かって行った。途中何度もフレイザーは振り返って手を上げた。 Thank you kindly フレイザーの口元はそう動いていた。・・・・・・本当に、本当に・・・優しい笑顔で・・・・。 そして・・・ついに・・・見えなくなった。 *** 佐都子は呆然とその場に立ち尽くし動けないままでいる。 そのうち背後から声がした。 「おい、大丈夫か?」振り向けばレイだった。 「大丈夫じゃないです。」 「・・・・・。」 そっとレイに肩を抱かれながら佐都子は空港を後にした。 (ばいばいフレイザー・・・・バイバイディーフ・・・・) 空港の外はもう暗かった。 *** 次の日 *** レイにお礼を言おうと佐都子が会社帰りに新宿警察署に立ち寄ると驚いた答えが 植田警部補から帰ってきた。もうレイはシカゴに戻ったというのだ。 急に用事が出来て昼の便で旅立ったらしい。 さりげなく何も言わずに帰ったレイ、なんともレイらしい別れ方だった。 「これを君にと・・・」 植田警部補がレイから預かった封筒を佐都子にくれた。 茶色いA4の封筒を開けると、中には一枚の新聞記事が入っていた。 競馬場の外でちょこんと座ったHEROなディーフの写真の入った記事だ。なんとも得意そうなディーフの表情がよく撮れている。横にはフレイザーとレイ、後ろには佐都子が写っている。 新聞記事の隅を見るとレイの筆跡らしい文字で何か書いてある。E-mailのアドレスとメッセージのようだ。 Rivieramylove@hotmail.com , I've enjoyed this past 4 days. I never forget you. I wish all the best to you. (この4日間楽しかったぜ。お前のことは忘れねえよ。元気でな。) 佐都子は胸がいっぱいになってしまった。 *** 春風にのってやってきた不思議なカナダ人、そのカナダ人のくれた淡いアドベンチャー。たった4日間だったが佐都子には忘れられない思い出になった。 あれから、ふとどこかでお祭りの屋台を見つけるとうれしそうに"たこ焼き”を食べるディーフの顔が思い出される。 きっとまた会えるね。きっと・・・・。 The End フレイザー、レイ、ディーフもこれで無事に帰ることができました。 みんな日本でいい思い出を作ることができたようです。 長い間お付き合いいただた皆さま本当にどうも有難うございました。 心より感謝いたします。 From さとうさんた (2003.10.6) Back |